読者からのメール
2012/07/01(日)
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ある読者の方から、ナンバリングに関する考察をいただきました。

おそらくネット上でのナンバリングと現実のそれとでは、全く逆の感情を生むのではないでしょうか。
現実のナンバリングは仰る通り猛毒で屈辱でしょう。鍵を預けるというこちらにとっては特別な行為が、数字によって管理され、ワンオブゼムとして埋もれていく。想像を絶する辛さだと思います。というか、想像したくない。
君にとって私は特別な存在。だって鍵を奪われてるから。
私にとって君は、、、
ただの番号なのかな。
…辛いですね。
個人的に鍵の束を見せる行為は、chikaさんのしている酷いこと(笑)のなかでも最上級のものだと思ってます。
私だったら血の涙を流しますね。
…あそこをカチカチにしながら。
でも、ネット上のナンバリングは、屈辱ではなく喜びを強く感じるのでは。
なぜならワンオブゼムの読者から、chikaさんから名前をもらった特別な存在になるのですから。
いわば、洗礼ですよね。キリスト教の洗礼。
chikaさんに名前をもらい、洗礼を受け、一層の精進を誓うわけです。
…まあ、マゾ化が進むという意味では、効果はネット上でも現実でも一緒かもしれませんが。

鍵の束を見せる、というのはフィクション中の話です。
実際には、束にするほどの鍵を持っていませんよ。
多いときでも3本くらいかな

「千と千尋の神隠し」でも名前を奪われることが隠されたテーマになっていますよね。
名前を奪うこと、与えること。これは絶対的な力が必要なんですね。
そんなことよりも、君の流す血の涙を見てみたいな。
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