生殺与奪
2012/09/16(日)
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凄い言葉ですよね。
生かすも殺すも、与えるのも奪うのも、すべて私の意のまま。
生かすも殺すも、与えるのも奪うのも、すべて私の意のまま。

「殺す」といってももちろん命を奪うことではありません。
もっとも重い罰でも、やはり精神的な罰でしかありません。
どんな罰が怖いですか?
以前、本気のオシオキについて書いたことがあります。
罰とオシオキは、似ていると感じるかもしれませんが、私の中では区別しています。
オシオキは、あくまでも調教の一環です。
昨日の記事でいうところの剪定も調教の一環です。受ける立場にしてみれば、オシオキと剪定は同じような物だと思います。
でも、罰は違います。
罰を与えてから別れることもあるからです。
「もう二度と会わない。最後に罰を与えて、君に償わせる。」
ホテルで両手両足を拘束してから、耳元で囁く。
そうして最後の時間を一緒に過ごします。
どんな罰なのか興味あるでしょ。
それはね、とっても残酷な罰。
相手によって異なるから、文章で書くのは難しいかな。
でも簡単に言えば、「一生忘れられない、他では得られないマゾの喜び」を教えてあげること。
お別れの直前に。

子供の頃、家族で北陸地方に旅行に行きました。
そのとき道の駅で地元の方が大釜で炊いていた山菜ご飯が美味しくて忘れられません。でもそれは、その前日に山菜狩りをして取れた天然の山菜を使っていたとのこと。
お店で出している料理ではなくて、たまたまその日だけ提供していたらしく、翌年も同じ道の駅に寄りましたが山菜ご飯は売っていませんでした。
もう一度食べたくて、山菜ご飯の有名なお店を見つけては食べに行っていますが、似たようなものにすら出会えていません。
もう15年以上も昔のことなのに忘れられないんです。
美味しい山菜ご飯にも巡り会いましたが、「これじゃない」という気持ちだけが強まっていきます。
いっそ、あんな山菜ご飯は食べなければ良かった。

今から教えてマゾの喜びを教えてあげる。
この喜びを経験したら、忘れられなくなる。でも、二度と与えてあげない。
どんなに君が渇望しても、二度と経験することは、ない。
さ。脳みそがグチャグチャになるまで苛めてあげる。
そして君は、一生、渇望し続けることになる・・・
そう囁きながら、服を脱がせば、アソコが惨めにカチカチになっている。
本当にどうしようもないマゾだね。
一生苦しみ続ける罰を与えられるっていうのに、こんなに喜んでる。
分かってないんだね。

そして、脳内麻薬が溢れるほど、徹底的に辱めてあげるんです。
数時間苛め続けた後、最後にキスします。
これも、忘れられない喜びの一部。
「これが最後のキス。」
って言って唇を重ねます。
悲しみの涙が溢れている相手に、優しくキスをします。
実はこれ、罰を装った誕生日プレゼントなんです。
唇が離れた瞬間に可愛い笑顔で言ってあげるんです。
罰だなんてうそだよ。
誕生日おめでとう。

まあ、どっちにしても、一生忘れられない喜びを与えています。
知らなければ良かったと思えるくらいの、喜びを。
それでも君は、それを知りたいですか?
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